《第16話》 私の大学受験の話 | 『帰ってきた』 コロ助の徒然日記 リローデッドZ パート2

《第16話》 私の大学受験の話

自分が大学受験の時のお話。


断片的に授業中などでお話した所もありますが、

受験シーズン始まりって事で、何の参考にもならないかも知れませんが、

ちょっと書いてみようかと。


まず、私の高校時代。これはお話した人が殆どでしょうが、一応。

遅刻・欠席がやたらと多く、3年生の6月で留年を宣告されてしまったわけです。

「君、やばいよ」とかではなく、

君、留年だから。決定したから。」と。

え・・・・、留年って言うと、1年下の連中と同じ教室で・・・

そりゃ困る。何とかなりませんかね?え?ならない、そりゃ困った。


わかりました。じゃあ、僕、学校辞めます。お世話になりました。


そう覚悟していたのですが、

担任の先生が「まあちょっとまて。もう一度話し合ってくるから」と保留にしてくれました。


次の日、「これから1日たりとも遅刻・欠席・早退をせずに学校に来い。日曜日も祝日も来い

と仰ってくれました。

なるほど、それをクリアすれば卒業できるわけですね?


やりましょう。


って事で、それまであまり学校に行っていなかった私は、

一念発起、学校に行く事にしました。

平日の授業がある時は勿論のこと、日曜日も祝日も行きました。

日曜・祝日は、まず登校した後、職員室の掃除をさせられました。

その後、職員室で付きっ切り、監視つきで勉強

結果的に、高校3年生の6月から、学校を休んだのは1月1日と、受験のある日のみ。

夏休みも冬休みも関係なく行きました。

その担任、おっかない人でしたけどね。大学時代に塾講師のバイトしてて、

自分の受け持ちの子のお父さんがその先生でビックリした事があります。それはまた別の所で。


そもそもなんで学校に行かなかったのか?

んー、私、高校の選択を間違えたのか、自分の実力とは噛み合ってない高校に入ったわけですよ。

現在その高校は、高校入試からの募集を停止していますが、

当時の偏差値で、そうですね、74といった所でしょうか。


「東大に何人入るか」ではなく、「東大理科3類に何人入るか」を競う様な、化け物だらけの高校。


自分で言うのも何ですが、中学時代の私は、そこそこお勉強が出来ました。

1学年450人程度の学校でしたが、大体1番~5番くらいには入っていました。

いや、1番は一度しか取った事ありませんけど。


私の時代は、「内申書」みたいな物は殆ど考慮せず、『業者テスト』で良い成績をたたき出して

おけば、授業中寝てようが、遊んでようが、何していようが問題なかったわけです

かく言う私は、

授業中は「北斗の拳の漫画を読む時間」・昼寝の時間と決めていました。

そんな私の様な人間のせいで、「内申書」が出来たんでしょうね。


ごめんなさい。


この学校、大体上位20名くらいは

(千葉県の中学校でしたから)県立千葉高校を受験するわけです。

まあ下位50人はヤクザになるんですけどね。

ちなみに某高橋くんと同じ中学校です。結婚おめでとうね

君たち、お似合いですよ(プッ


で、当然「千葉高校を受験せよ」と命令されまして、それが何故かいやでした。

反抗期バリバリの私は、担任の先生が指定した高校を全て受験せず、全く違う高校を受験。


その中に、「この高校」が入っていたわけです。

入学して最初のテストで、晴れてビリから3番目になりました。

ブービー賞すら貰えなかったわけです。

高校1年生の頃は一応努力しましたよ。試験勉強もしましたし。

でもね、どんなにやっても全然成績が上がらないのですよ。

いっつもビリから数えて何番目の世界で。

物理のテストで2点を取った事がありますし。

いや、これは小テストではなく、100点満点です。


はい、諦めました。ダメだ、こりゃ、と。

何度も高校を辞めようかとも思いました。

学校に行くと言って家を出て行って、友達と遊びまくって2週間家に帰らなかった時、

あれ?生きてたの?」という暖かい言葉を母親から掛けて貰いましたが。

それでもまあ、何となく高校に在籍し続けまして、何とか3年生になったわけですが。

まあ、そんなに甘くはありませんでした。で、上記の「留年宣告」に戻るわけです。


ちなみに私の高校3年生時代の、予備校の模試の成績。

何しろ勉強なんて全然してませんからね。

高3の6月の模試の結果は大体50くらいでしたかね。


さあ、そこから「強制的に勉強させられる」毎日が始まりました。

辛い、厳しい、泣きそう、と。でも、高校くらい卒業しないと、中卒になっちゃうしなぁ、と。

ただそれだけで雨の日も、晴れの日も、雪の日も、バイクに撥ねられた日も学校に行きました。


強制的に職員室で勉強させられた、また、授業中の居眠りも許されなかった。

結果的にそれが良かったのだと思います。

私の場合、学校に枕を持っていってましたから、「居眠り」と言えるかどうかはわかりませんが

成績はあがりました。いや、校内の成績は大して上がらなかったのですが、

模試の成績は上がってきました。いや、英語・国語・日本史の3教科の成績でしたが。

10月の模試で偏差値60を超えました。

11月の模試で偏差値65を超えました。


さて、私が受験(出願)した学校とその勝敗結果を先に。


慶応義塾大学経済学部 × 

慶應義塾大学文学部  ○ 

慶應義塾大学商学部  ○ 

慶応義塾大学法学部  ×

早稲田大学教育学部  ○

立教大学社会学部   ○

中央大学商学部    ○

明治大学商学部    ○

青山学院大学経営学部 ○

法政大学経営学部   ○


一橋大学社会学部  未受験 

←受験しませんでした。インフルエンザで。いや、マトモに受けても受からなかったと思いますけど。

横浜市立大学商学部 未受験

←慶応行きたかったので、既に受験する気なしでした。


しかしこの受験校・・・。私、何をしたかったんでしょうか(笑)

多分、慶応に行きたかったんでしょうね、私。それにしても、多くないか?おい。

みなさん、これはダメなケースですよ、マジで。


さてさて、2月中(受験シーズン)の心理状態


恐らく皆さんと同じです。

未知なる挑戦に対する、不安。

胃のひとつやふたつ、痛くなりますよ。(胃は一個しかありませんけど)


だって、経験したわけじゃないから、どんなもんか良くワカラン、と言うのが正直なところ。


つまらない事を気にしたくなりますよね。

受験番号は書いたのか。

名前を書き漏らしたんじゃないだろうか。

マークシートがはみ出ていたかもしれない。


そんなつまらない事を気にして、次の試験に手が付かなかったりして


まあ、そんなに気にする事はないです。

大丈夫ですよ

受験番号の書き漏らし、殆どのケースが杞憂です。

それにですね、受験番号かいてなかったら、

解答用紙集めた時に、試験官の先生が教えてくれますから。

そんなに意地悪じゃないですよ?


それでですね、まだまだ受験が終わっていないのに、

無情にも試験結果は途中でやってくるわけです。

合格してたら良いですよ。調子に乗ってそのままいっちゃってください

きっと落ち着いて、その後の受験ロードを突っ走れるでしょう。


問題は、(世の中甘くありませんので)『不合格』だった場合です。

いや、そりゃ合格したい気持ちはわかりますよ。

でもね、合格か不合格かを決めるのは、君じゃなくて、私でもなくて、大学ですから。

その大学が、「君、いらない」って言ったらそれまでです。


そんな時、「自分ならどうしようか」を考えておいてください。

どうやって元の自分に戻そうか、考えておいてください。

例えば、「やべえ、落ちた」と現実を認識した後、

まずは風呂に入って憂鬱な気持ちでボンヤリして、場合によっては泣いてみたりして、

服を着替えて、外に散歩に行く。散歩のコースも決めておく。

1時間で戻ってきて、その時に何をするのか決めておく。例えば数学の問題を1問解こう、とか。


自分がどうやって戻ってくるのか、を決めておくと良いですよ。

気持ちのスイッチの切り替え方を、あらかじめ決めておくのです。


  ※もしこれを読んでいる高校3年生の保護者の方がいらっしゃったら。

  くれぐれも試験結果を見て、

  ①「はぁ~・・・」なんてため息をつく。

  ②「大丈夫大丈夫!」なんて引きつった顔を無理に励ます。


  以上の様な事は止めて上げて下さい。

  恐らくその後の試験も乗り切れないくらい、落ち込んでしまいます

  「次、しっかりやればいいじゃない。」と静かに励まして上げてください。

  大学入試は、「誰でも正当な評価としての合格をもらえる」わけではないのですよ。


途中で「疲れた・・・」なんて思ってしまう事もあると思います。

そりゃ疲れますよ。君たちが学んだ事を認められるか、拒絶されるかの瀬戸際

そんな状態で、「いや、自分はどうって事ないです」なんていってる人は人間的に欠陥があります。


大学入試は、勿論学習した事の「知識」も問われますが、

いかに精神状態をコントロールできるか、も大きな勝敗のポイントですから。

始まれば判ると思います。


「ダメだ!コントロールできない!落ち込みそう!」と思ったら、

「厳しいんですけど・・・。泣きそう・・・。」とでも、遠慮なくメールして下さい。

明るく、無責任に励ましてあげましょう。


私の高校時代、無責任に明るく励ましてくれる人が傍にいました。

「無責任だな、おい」と思いながらも、その人に大変励まされました。

まあそれは誰かと言うと、自分だったんですけどね。


自分じゃ無理だって言う人は、励ましてあげます。


そんなブログを作って、いつも上にあげておきましょうか?


私の場合、「大学に合格しても、高校卒業できないかも知れないじゃん!」という、

別の(バカな)プレッシャーと戦っていたんですけどね。

※結果的に卒業できました。

卒業式当日に、校長先生自らが卒業証書に私の名前を、目の前で記入してくれました。


このお話は、「土壇場で頑張れば、人間なんでも出来る!」という良い話かというと、

それよりも、「最初からちゃんとやれよ」という話なんですけど。


以上です。健闘を祈ります。